結論から: 1970年代に民間金融機関と大蔵省が共同で育てた住宅金融専門会社7社は、銀行の住宅ローン参入により不動産融資へ傾斜し、バブル崩壊とともに金融史に残る不良債権問題の震源地となった。
この記事の要点
- 住専7社は1970年代初頭、国民の持ち家需要に応えるため民間金融界の共同出資で設立された
- 大蔵省はノンバンクとして異例の「直轄会社」に指定し、設立母体と省から経営陣を派遣した
- 銀行が住宅ローン市場に相次ぎ参入したことで住専の収益環境は発足半年で激変した
- 活路を不動産融資に求めた住専各社はバブル期に資産を急拡大し、銀行より早く崩壊の打撃を受けた
- 大蔵省銀行局長・土田正顕は経営悪化を認識しつつも、免許業種でないことを理由に直接介入を回避した
住宅金融専門会社(住専)は、マイホーム取得を望む国民の需要に応えるため、1970年代初頭に民間金融機関が共同出資して設立した住宅資金供給会社だ。日本住宅金融など7社に農林系の協同住宅ローンを加えた計8社が存在し、大蔵省はこれをノンバンクとしては異例の「直轄会社」に位置づけて金融機関並みの優遇を与えた。
しかし設立からわずか半年で銀行が住宅ローン市場へ続々と参入し、住専の競争環境は一変した。収益基盤を失った住専各社は不動産向け融資へと軸足を移し、バブル景気に乗じて急速に資産規模を拡大させていった。その結果、銀行よりも先にバブル崩壊のダメージを正面から受けることになる。
大蔵省内部でも住専の経営悪化は把握されていた。バブル絶頂期に銀行局長を務めた土田正顕は、住専の問題を薄々認識していたと後に証言している。それでも免許を要しない業態であることを盾に直接的な監督・介入を避け続けたことが、処理の先送りと傷口の拡大につながっていく。
大蔵省は住専に対し延命策を重ねたものの、結果的に不良債権問題を深刻化させ、1990年代の金融行政における重大な失策として歴史に刻まれることとなった。兵庫銀行問題と同様、問題の先送りが最終的なコストを大きく膨らませた構図は共通している。




本記事は 東洋経済オンライン の報道をもとに、当社編集部が独自に要約・再構成したものです(原文の転載ではありません)。詳細・正確な情報は出典の原文をご確認ください。
出典:東洋経済オンライン「大蔵省の立ち入り検査を拒む「ミスター住専」、日住金の庭山慶一郎社長が古巣と対立 住専アリ地獄①」(https://toyokeizai.net/articles/-/952440?utm_source=rss&utm_medium=http&utm_campaign=link_back)2026年7月アクセス
